hivになったはなし

2015年3月、HIVに感染していることを知りました

8.11

僕の好きな人が亡くなりました。

 

持病の発作だったそうです。

彼の携帯に電話をかけたのがきっかけで、彼のお母さんが教えてくれました。

 

彼の死は、僕にとてつもない絶望をもたらしました。

涙は今日に至ってもまだ枯れません。

今のこの気持ちは絶対に忘れてはいけないもので、何かの形に残しておきたいという思いから、久々にこのブログを開きました。

 

 

 

その人は、本当に僕にとってなくてはならない存在でした。

 

 

初めて会ったのは去年の12月。

「ヤリ目」でした。

はじめからセックスを前提として人と会うのが初めてで、とても緊張していたのを覚えています。

しかも彼の車でホテルまで送ってもらうことになっていて。

さらに僕は向こうの顔さえ知りませんでした。

いつもなら顔がわからない人とは会うことのなかった僕ですが、なぜかそのときは大丈夫だという気持ちが強かったように思います。

待ち合わせ場所で彼の車を待つ間もずっとどきどきしていて、落ち着きませんでした。

 

彼は、一見すると怖そうだけど、よく見ると整っていて清潔感のあるきれいな顔つきをしていました。

目つきは悪かったです。

 

セックス中もなんだか怖かったのを覚えています。

でもその後にお風呂で長い間いろんなことをしゃべって、その時間は僕にとってかなり楽しいものでした。

 

 

彼は本当にモテそうで、僕みたいなのとは全く釣り合わないくらいかっこいい人でした。

だから、会うのもこの一度きりかなって思っていたんですよね。

そしたらその後も何度か連絡が来て、彼の家に数回行く機会がありました。

 

そんなとき、彼はよく「お前は俺だけのもの」と言いました。

どうせ冗談だろうと軽く受け止めながらも、少し喜んでたところもありました。

でも彼には付き合ってる人がいて。

彼曰く「愛はなく、情で一緒にいるだけ」らしいのですが、やっぱり僕はただの浮気相手なんだなーとつくづく感じていました。

 

 

そんなこんなで僕は彼だけのものになれたらどんなに嬉しいかと思いながらも、向こうに別の彼氏がいることに引け目を感じ、年が明けたころからは徐々に彼から離れて行きました。

 

 

ちょうどそのあたりから、不特定多数とコンドームを使わないセックスをするようになりました。

 

 

彼からはたまに連絡があったのですが、僕は「誰ともやってませんよ」だとか「風邪ひいて今は無理です」だとか嘘をついて、彼を遠ざけていました。

 

そうこうしているうちに、僕は本当に体調を崩し、HIVの告知を受けました。

3月のことです。

 

彼には言おうかどうかだいぶ迷いました。

僕が羽目を外したセックスをするようになってからは彼とは会っていないので、彼に移したり彼から移されたりということは考えられなかったのですが、

彼に何度も嘘をついていたことで彼を傷つけることに引け目を感じてしまっていたのだと思います。

 

それでも彼はときどき連絡をくれ、僕の心配をしてくれました。

なので、結局全部を話しました。

他の人とたくさんセックスをした。

HIVの検査に行ったら陽性だった。

ほんとうにごめんなさい。

 

 

彼との関係は、もうそこで終わるものだと思っていました。

 

そうしたら、まさかの「またこいよ」って返事が。

いやいや。移っちゃうし、もう会っても何もできないですよと。

でも彼はまた会おうと言ってくれました。

世界で一番醜い存在になったと思っていたときに、僕を救ってくれたのがまさに彼でした。

本当に嬉しくて、泣いちゃって、二番目でもいいから彼のことをずっと好きでいようって感じたのがそのときでした。

 

 

それからは彼の家に行っては話したり、お茶飲んだり、マッサージしてあげたりしながら過ごしていました。

僕はどんどん好きになっていって、こんな体の自分にも少しずつ自信を取り戻していきました。

 

彼の恋人は夜になると彼の家に来るらしく、その時間が来るたびに僕の浮かれた気分は沈みました。

彼とその恋人との間にはもうセックスもなく、就活中の恋人が就活のために彼の家を使っているだけだと説明されましたが、やっぱり切ない気持ちは最後までありました。

 

6月になると、僕の試験も本格的になっていきました。

会うたびに「試験どうだった?」とか「就職したら一緒に住もうなー」とか話してくれて、だから僕も頑張れたのだと思います。

 

僕の病気の検査も進んで、薬を飲みはじめることになったときも彼が励ましてくれました。

彼は小さな頃から体が弱く、いまも毎日たくさん薬を飲んでいるとのこと。

1日1錠なんか余裕だよ、と。

彼はすごくしっかりした体つきをしていて、本当に強い人間になろうと努力していたのだと思います。

 

 

彼はよく僕の検査の結果も聞いてきました。

数値がよくなったらまたセックスしたいなーって。

他にも、僕が彼に恋人がいることを愚痴ると「お前が俺に病気移せば俺はお前のものだよ」なんて言ってくれて。

 

バカみたいなこと言ってるんですけど、そのたびに僕は嬉しくて、この先も病気に負けないで頑張ろうって思っていました。

 

 

8月は温泉旅行にも行こうって話していたんです。

二人っきりで、バスに乗って。

一度計画たてたんですけど、僕の予定が合わなそうだから別の日にしようってなっちゃって。

 

もう二度と行けない、旅行。

 

 

最後に会った次の日から、彼との連絡が途絶えてしました。

僕は何度もラインして、ラインの電話をかけてみても反応はなく、あー飽きられちゃったのかなと感じるようになりました。

 

友だちに相談してみたら、事故に遭ってる可能性もあるんじゃないか、と。

僕は彼の携帯の電話番号を知っていたことを思い出し、その場で電話をかけてみるもやっぱり出ませんでした。

 

もうこれで諦めよう。

そう思った矢先に知らない電話番号からSMSがきました。

彼のお母さんでした。

 

 

そうして僕は彼の死を知ることになります。

彼の命日は、僕が最後に彼に会った日の翌日でした。

彼に会った日、彼は美容院に行っていました。

 

生きる気まんまんで

人生を本気で楽しんでいて

僕の生きる気力になっていた彼が、どうして死んでしまったのか。

 

 

正直僕はこれからどうしていいのかわかりません。

HIVも、彼がいたから頑張ろうと思えました。

 

病気のことも彼のこともよく話していた僕の友だち2人が、ここ数日で僕を連れ出してくれました。

彼らがいなかったら、自分はどうなっていたんだろう。

 

そして、これから僕はどうなっていくんだろう。

 

今週は、大事な面接が2つ控えています。

今は目の前のやれるだけのことはやっておこうと思います。

 

 

未来が真っ暗になってしまいましたが、しばらくはもがきつづけます。

異常

役所に行ってきました。

 

どこでどう伝えればいいのか全く分からず、おまけに役所なんて滅多に行かないものだから行く前からずっと緊張してました。

福祉の窓口の前でうろうろしていたら優しそうなおじさん職員に声をかけてもらい、窓口へ。

手帳の交付を受けたい旨を伝え、病院からもらった申請書を渡したぐらいから徐々に職員さんの表情が険しくなっていったのが忘れられないです。

 

書類に記入を終え、そのあとはベテランっぽい女性の職員さんに担当が変わりました。

「ここじゃ話しにくいことを話すので場所を変えます」と言われ、大きな会議室のような場所へ移動。

さっきのおじさん職員と違ってこちらの女性職員は僕みたいな人の対応に慣れているらしく、てきぱきと説明や質問を受けました。

検査を受けた場所や受けようと思ったきっかけ、病院に初めて行った日など

あと性行為の話も少しあったかな。

 

HIVになって障害者手帳の申請をする人の多くが肺炎などにかかって入院を経験していることが多いらしく、僕みたいにぴんぴんしてる人は珍しいようでした。

 

 

いや、もう役所に行ってから気持ちがかなり不安定です…笑

やっぱ今までHIVのことを話してきたのって病気に理解のある病院の人たちと親友だけだから、そうでない人の当たり前な反応が僕にはとてもきつかった。

 

それで、改めて悔しいって思いました。

おじさん職員から冷たい対応を受けたことが悔しいというよりは、自分がすでに普通の人じゃなくなってることが、なんだかとても悔しい。

 

半年前ぐらいから、気になっている人がいたんです。

僕が感染する前はその人とセックスしかしてなかったんですけど

HIVってことがわかってからもその人は定期的に僕と会ってくれていました。

ただのセックスの対象ではなくその人と会えるのが嬉しくて、もしかしたらって思ってたんですけど、やっぱそんなことはなかったみたいです。

もちろんその人はHIVではないです。

僕の感染を知ってからもちゃんと検査してくれてました。

 

普通じゃないのがこんなに悔しいって、HIVになって初めてしっかり感じたかも。

 

 

初期症状のときにあった「離人症」みたいな感覚がまた少し戻ってきてます。

そのうちすぐ元気になるんだろうけど、しばらくはごちゃごちゃしてる。

 

けど、なるべく気にせず今は勉強に専念します

また

 

現実

書類の準備ができたということで、先日ケースワーカーさんのもとへ行ってきました。

 

僕てっきり勘違いしていて、申請まで郵送で病院の方でやってくれるのかと思っていました。

やっぱ申請自体は自分で役所に行ってするものなんですね。

こんな考えの甘さで今後やっていけるのでしょうか、、笑

 

 

障害者手帳の申請用紙。

 

改めて、というかここでようやく僕がこれから今までとは違う人生を歩んでいくんだということを感じたような気がします。

前回の検査結果はまだ聞いていないけど、申請用紙には既に書いてあって。

初回の数値よりは良くなっていたのですが、やっぱりそれでも申請しなきゃいけないんですね。

 

あと服用する薬の名前も書いてありました。

それが実際に飲むものなのか、ただ手続きのために書かれたものなのかはわかりません。

てか薬って医者と患者で相談して決めるものじゃないのかな…?

まだわかりませんが、追い追いしっかり聞いておこうと思います。

 

そして、実際に補助なしで通院を続けた場合の一ヶ月のお金も載っていました。

要はその分の補助を行政にしてもらうってことですよね。

それは、もう、とてもじゃないけど普通の人には払えそうもない金額でした。

ましてやフリーターの僕なんかにはどう頑張っても無理な額。

 

なんとういか、今までぼやっとしていたものが、ようやく現実味を帯びてきました。

 

来週には役所行ってこよう。

遠いんだよなあ。

 

明日もバイトです。

それではおやすみなさい

友だちと好きな人

この前ケースワーカーさんから連絡があり、書類の用意ができたとのこと

近いうちに書類作成に入っていくみたいです。

 

一人で全部できるのかな…

不安だけど、そんな気を紛らわすために障害者の待遇をいろいろ調べていました笑

JRやバスが安くなったり、映画が1000円で観れたり。

 

そんなことを全部カミングアウト済みの友人に「すごいんだよー」って話したら、一緒に笑ってくれました。

もちろんただおもしろくて笑ったんじゃなくて、なんというか、もうどうしようもないことは分かっていて、それで一緒に笑えたんだと思います。

本当に優しい人です。

忙しいのにこんな自分といつも会って話してくれて、本当に大好きな友だちです。

最近幸せそうで、僕も見ていて自分のことみたいに喜んでます笑

 

あと久しぶりに初めましてのゲイの人と会ってきました。

まだリアルって言うのかな…?

少しお酒も飲んで、楽しかったなー。

こうやってゲイの人とこれからも会う機会はあると思うんだけど、

その中で好きになる人が出てきたら、いったい自分はどうやってカミングアウトするんだろうって、考え込んじゃいました。

伝えずに付き合うっていうのは僕は嫌だから、本当に好きになった人には伝えるんだろうけど、反応聞くのめっちゃ怖いんだろうな。

てかそれでも付き合ってくれる人っているのかな…。

そんなことを少しばかり考えていた久々のリアルでした。

 

土日の予備校は人口密度が高くて好きじゃありません。

夕方に帰ってきてしまいました。

今からすこしやるか、、

通知

はじめまして。

はると申します。

 

僕は、ゲイで22歳の大学生です。

大学はもうすぐ卒業します。

 

卒業後すぐ就職はせず、初夏の公務員試験を受けるために今は勉強しています。

 

 

そして今日、HIVに感染していることを知らされました。

 

 

これは自分の長所なのか短所なのかわからないけど、昔から驚くようなことを言われてもうまくリアクションを取れない人間でした。

 

びっくりするようなことを言われても、もちろんびっくりはするけど、「ああそうなんですか」って頭の中では処理されているような感じで。

 

今日もそうでした。

今もそうです。

 

もちろん気持ちは今までにないぐらい落ちているし、

母に心配されるぐらい大きな声で泣きもしました。(実家暮らしです)

 

ただ、今の時点では事実を冷静に受け止めています。無理矢理にでも。

 

今日はさすがに何も考える気にはならなかったんですけど、

 

やっぱり不安は尽きず、いろいろなHIV陽性の方のブログを読んでいるうちに、自分もなにか今の気持ちを残しておきたいと感じました。

 

 

これからどうなるのか全くわかりません。

 

あまりにも心細かったので、本当に信用できる一人の親友にだけ陽性だったことを電話で伝えました。

 

けど、今後自分のことを決めていくのは全て自分の意思なので、それを綴っていけるツールにしたいと思います。

 

 

朝起きたら、全部嘘になってないかな

 

おやすみなさい