hivになったはなし

2015年3月、HIVに感染していることを知りました

優しい人

また月日が経った。

 

この病気を患ってこのようなブログを始め

気持ちの整理をしたり、その気持ちを伝えたり

薬の情報を発信したり、病気の防止を啓発したり

そんな人はたくさんいて、たくさんいた

 

自分もそうである。

 

でも、その多くがある日を境に更新がぱたりと止まる。

 

病気が悪化したのか

命に関わる状況に陥ってしまったのか

 

僕の場合は全くそうではなかった。

 

僕の場合は、日常になった。

 

僕の場合は、3ヶ月に一度の通院の際に1万円を支払うだけで

その先3ヶ月分の薬が貰え、

それを毎日欠かさず服用することで、いたって平凡な日常を送ることができている。

 

HIVに感染しても、薬を正しく服用することで以前と変わらない生活が送れます。」

 

全く、そのとおりなのだ。

だから僕は、

きっと他の多くの人も、

HIVに感染している、と知ったときの動揺を今はすっかり忘れ

この状況が「日常」になってしまう。

 

この病気に関して、日々の気持ちや生活を綴っていても

あまりの「平凡な日常さ」に、あえてブログに残しておくまでもなくなってしまう。

 

そういうことなのかと、思って、なんとなく今文章を書いている。

 

 

ある友人から、友人の知り合いがSNS自死を思わす投稿をしていると聞いた。

そのSNSを見せてもらった。

人が死ぬ、特に自死の道を選ぶ、と聞くのはやはり悲しい。

僕の友人も数年前に自殺をした。当時好きな人であった。

 

今日聞いた友人の知り合いも、僕の過去の友人も、

自死の及ぼす周りへの影響は、きっと、誰よりも考えたのだと思う。

それでも、生きることができないってどうしようもなく感じていたのかもしれない。

生きていれば楽しいこともある。だから死なないでって皆は言う。

じゃあ私が生きることであなたは責任を取ってくれますか?

人の人生を背負うことはとても重いことだ。

責任について尋ねられたときに、すぐさまイエスと言える人は多くないんじゃないかなあ。

 

実は僕も、というか、たぶん僕だけじゃないと思うんだけど(きっと結構たくさんの人が)

生きることがつらいと思っている。

 

それが限界に達したとき、やっぱりきっと自分も、

どうしようもなく「生きれない」って声を漏らしちゃうんだろう。

 

 

自分は昔から人の集まりに馴染むことが苦手で

いつもおどおどしていた少年だった。

いまも人の目を気にして、思うように言葉を発せなかったり、行動を起こせなかったりする。

もはやHIVなんて関係ない。

僕はもともと生きにくい素質を持っていたのである。

 

生きれないと思ったとき、逃げることができる人とできない人がいる。

 

逃げることを選べる人は、強い人だ。

自分をいい意味で大事に思っていて、自分を守れる人だ。

逃げることができない人は、優しい人なんじゃないかな。

というか、そうだといいな。自分も逃げられないと思う。

周りのことが気になってしまうからなんだよね。

 

ここで、「じゃあ周りの人は僕の人生に責任を持ってくれるのか」って

きちんと疑問を投げかけられるようになりたい。

この世の中にはいろいろなこと(助言だったり文句だったり)を言ってくる人がいる。

 

その人たちに声を大にして言いたい。

 

お前は人の人生の責任を取れるのか!と。