hivになったはなし

2015年3月、HIVに感染していることを知りました

Too proud

ブログを書くとき、タイトルはいつも本文を書いた後に考えます。

何かテーマみたいなものを決めちゃうと、どうしてもそれに引っ張られてしまうから。

 

だから今もタイトルは空白です。

状況は昔から変わったけど、人の本質みたいなものは大きく変わっていない。

 

 

 

僕の好きだった人が死んで、昨日で3年が経ちました。

 

僕がHIVになる前後に好きだった人です。

病気になったきっかけの人ではありません。たぶん。

 

病気になる前は、セフレみたいな関係。

正直、お世辞でなく、めちゃくちゃかっこいい人でした。

さぞかしモテていたことだろう。

単純に、セックスの相手として僕は彼のことをとても好きでした。

 

僕がHIVになったことを知ったのは、彼と出会ってから4か月後のこと。

他にもセックスをする場はちらほらあって、無知な自分はただ遊んでるつもりだった。

 

病気のことを知った彼は、まず先に「俺大丈夫かな?」って言ってたな。

でもそこからは、セフレとしてではなく、僕と向き合ってくれました。

病気になって不安定だった時期を支えてくれた人は他にもいます。

でも、彼がそのうちの一人として大きな存在であったことは確かなことでした。

 

 

彼が死んだのは、僕がHIVになってから4か月後。

 

改めて考えてみると、僕が彼本人と一緒にいた時間よりも

彼の残した人たち(家族や彼の恋人)と触れ合った時間のほうが長くなっていた。

とっくに。

 

 

僕は彼の三回忌には行きませんでした。

 

彼の家族や親しかった人たちと、温度差を感じてしまうことが申し訳なかった。

たったの8か月しか一緒にいなかった僕と、もっと長く深い時間を過ごした人たち。

僕が彼の家族の前で泣かないのも、当然だと思う。

 

 

もちろん彼が死んだと知ったときの僕は今でもやばかったと思う。

知った日の記憶はあまりない。たぶん何も考えられないほど泣いた。

その後2週間ぐらいも、電車に乗ってるときやバイトの休憩中に急に涙が出てきて焦った覚えがある。

 

 

今も、悲しくないなんてことはない。

彼がもし今生きていたら、僕の環境は今とは全然違うものだったに違いない。

(僕の彼氏も今の人ではなかっただろうし、仕事も違ったかも。結局何もわかるはずもない。)

 

でも、彼に対する気持ちがとても深い場所に行くのが、少し怖くなっている。

 

 

悪いことじゃないと、個人的には思っている。

中途半端な気持ちで、人の死と向き合うのは失礼だ。

 

 

時間が解決する問題があれば、時間により触れられなくなることもある。

 

 

でも、彼の死んだことを、僕は一生忘れない。

これは嘘偽りのないことだと胸を張って言える。

だから、僕は一人で祈る。

 

 

彼が安らかに眠れていますように。

 

 

 

 

タイトルは、今から考えます。