hivになったはなし

2015年3月、HIVに感染していることを知りました

BADモード

最後にこのブログを書いたのは2年と4ヶ月前でした。

今となっては誰も読んでないだろう、というか自分でさえ存在を忘れていたこのブログですが、とあるきっかけで久々に戻ってきました。

(今でもたまに数件のアクセスがあること、驚いています。)


僕はといえば、仕事も私生活も特に大きな変化はなく、日々つまらないことに一喜一憂しながら至って平均的な三十路手前の男性として東京の地で暮らしています。


病気に関しても、特に困ったことはありません。

随分前になりますが、服用している薬の変更がありました。

従前から1日1錠というのは変わりませんが、薬のサイズが小さくなったおかげで服用した後の胃の不快感などがかなり軽減されて助かっています。


さて、久々にブログに戻ってきた理由ですが、現在私事ながら住宅の購入に興味を持っており、調べていくうちに「HIV患者ってローン借りれないんじゃ…」と思い、リサーチすべくHIVブログ界隈へやってきました。

詳しい方には説明の必要はありませんが、住宅ローン自体に病歴の審査はありません。

しかし、一般的に住宅ローンを組むにあたっては団信(団体信用生命保険)の審査をクリアする必要があるため、HIV、というか身体障害者手帳を持っている時点で詰んでいるような気がします。

やはりその辺はどんなにHIVが健常者と同等の暮らしができると言えど、保険会社からしたらリスクの塊でしかないわけで。

僕自身、数年後に年齢要件により停止される家賃手当(雀の涙ですが)を見据えて不動産という資産を手に入れたいと思ったのですが、やはり厳しいのでしょうか。


一度詳しい方に相談したいにも、なかなか普通のFPのような方には話しづらい内容のため、どうしたものかなあと悩んでおります。

実際に審査へ進んでみようとも、そのためには住宅購入の話を進める必要があり、そもそもHIVが門前払いされるのであればその労力ももったいない。


病気に罹ったとき以来の無念さを感じています(大げさ)。


前回のブログを書いていた時には想像もできなかった世の中になっています。

今これから行う決断が、この先リスクとなるのか吉と出るかは誰にも予測できません。

今自分が正しいと感じた判断を、この先の人生でもブレずに持ち続けること。

目下の目標はこれに限ります。


いるかいないかわからない読者の皆様、どうかお身体ご自愛くださいね。

それではまた。

unconditional love

「なんか、騙されてるみたいなんですけど」

 

「騙してどうすんの。お前んち金持ちなの?」

 

「いや、そういうことじゃないですけど、なんか、幸せすぎるから」

 

 

少し昔の会話をふと思い出しました。

僕がまだ無償の愛というものを知らなかったときのことです。

 

世界で一番かわいそうな人間になったと思い込んでいた、自意識過剰にも程がある馬鹿なゲイです。

見た目も良くないし体も良くない、ましてや病気に罹った自分をなんでこの人は良くしてくれるんだろう?と純粋に疑問でした。

 

小学生の頃、ちょっと気になってた女の子から好きだよと告白されたことがあります。

そして、その少し後にそれが嘘で、僕をからかうためにその女の子と友達が仕組んでいたことを知りました。

幼いながらにもかなりショックでした。まあ結局ゲイなんだけど。

 

人の裏切りは怖いです。

でも、いい大人が小学生の頃のトラウマ引きずってるなんてあほらしいですが、トラウマというか、傷つきたくないのをこの記憶のせいにして自分の行動をセーブしてるんです。

トラウマって、当の本人が作り出してるってアドラーさんも本で言ってたような気がします。

 

物事って、特に人と人との間のことって、信じてみなきゃ変わらないから、結局僕らは裏切られても裏切られても人を信じ続けるしかないですよね。

 

信じられる無償の愛を僕も手に入れるために日々を送ってます。

 

頑張ってる皆さんを見習って、僕も頑張ります。

自律神経ぶっこわしにかかってる夏に負けない

こんにちは。

東京は梅雨が明けてから本当に暑いですね。

僕は頭と顔に汗をかきやすいので、外にでると周りに引かれるほど汗で大変なことになってしまいます。

 

それでも僕は一年の中で夏が一番好きです。

着るものも気分も、一年の中で一番開放的でいられるのが良いです。

サンダルとか、大好きなんですよね。毎年買っちゃいます。

別に裸で夜の公園を徘徊したりはしません(あたりまえ)。

 

てことで気持ちも前向きになるこの季節なので、新しい何かを始めたいなと思っています。

前は「死ぬことが一番の社会貢献」なんて言ってたこともあるけど、

せめて自分が社会に貢献できる価値ある何かになりたいと思います。

 

前々から企みはいくつかあったので、それを寒くならないうちに実行して、軌道に乗せねば。

 

自分自身だけじゃなく、周りの大切な親友、大切な彼氏が大事だからこそ、

周りを悲しませるんじゃなくて、幸せにできる人になりたい。

こんな気持ちが腐ることなく続きますように、という願いを込めて今日はブログを更新してみました。

 

熱中症にはくれぐれも気をつけましょう。水のもう。

薬のこと。以前と今のこと。

こんにちは。お久しぶりです。

生きてます。

 

ブログの更新頻度が年2回なのはまずい・・・と思い、

何か書こうと思いました。

 

病気はといえば、幸い何もトラブルはありません。

服薬をはじめてもうすぐ4年になりますが、もうずっと落ち着いています。

 

少し薬のことについて。

 

昔書いたことがあるかもしれませんが、僕はトリーメクという抗HIV薬を飲んでいます。

初めての服用からずっと同じ薬です。

一日一錠を決まった時間に飲めばよく、僕は毎晩10時に飲むようにしています。

はじめは時間を意識することが大変でしたが、

今となっては時間になると反射的に薬に手が伸びるようになりました。

もちろん仕事や飲み会などで毎日定刻どおりとはいきませんが、

前後2時間以内には必ず飲むように心がけています。

 

大きさは小指の第一関節から上ぐらい。

一般的な錠剤と比べてえらく大きいです。

はじめはこんなの毎日飲むのかと辟易していました。。

 

最初の一年は、何度か飲み忘れがありました。

社会人になりたての頃だったので、仕事から帰ってそのまま寝てしまい、

深夜に目が覚めて青ざめるなんてことがあったなあ。

 

副作用は特に感じません。

胃が空っぽのときや体調が優れないとき、お酒の席ではたまに気分が悪くなることもあります。

トリーメクは食事の有無に関係なく飲める薬と言われていますが、

僕の場合、ご飯を食べずに薬だけ飲むと非常に気持ち悪くなります。

薬とうまく付き合っていくために、自分なりにいろいろと試行錯誤をして

今では自分の生活のなかにうまく薬を馴染ませることができました。

 

僕はツイッターHIVの人をフォローする用のアカウントを持っているのですが、

その中でも病気が発覚したばかりの方をよく見かけます。

これから一生薬を飲まなければいけないこと、障害者になること

セックスやお金の不安など、いろいろ考えると思います。

僕もよく最初は一人で抱えられたなと思い返します。

(結局一人ではむりでした。友人たち、親、今の恋人に支えられて今があります。)

 

僕が言えたことではないですが、どうか今は踏ん張って、ひとつずつ物事を前に進めていってほしいです。

 

それではまた。

死ぬことがいちばんの社会貢献

あけましておめでとうございます。

今年もどうぞよろしくお願いします。

 

新年早々物騒なタイトルですみません。

 

この1月でHIVに感染して丸4年です。

事故にも遭わず、事件にも巻き込まれず、自殺もせず、よくここまで生きてこれました。

20代も中盤に差し掛かったところですが、同じように10代や20代前半で感染してしまったHIV患者の方はいるのでしょうか。

 

まあそれは置いといて。

 

ここ数カ月、著しく自己肯定感が低下しています。

 

私生活や仕事において、自分が周りに何か貢献できているという実感が全くなくなってしまったのです。

 

自分でそう思うこともあるし、他人から厳しい言葉を投げられたこともそのきっかけかもしれません。

「何様だ」と思う気持ちは幸い消えていませんが、他人はどうしても変えられないので自分でなんとかするしかありません。

 

そんなときに思い出したのが自分を生かしていると言っても過言ではない薬の存在。

初めて病院で薬を処方されたときは、まだ自立支援の申請も降りてなく、窓口で6万円を請求されたのを今でも鮮明に覚えています。

その後涙目でケースワーカーさんの元へ走ったことも。

 

僕は日本の福祉制度によって生かされています。

僕にそこまでの価値があるのだろうか…と、今回のように気分が落ちる時期はよく考えます。

生かされている以上に、社会にとって必要な人間にならないとな。

他人を傷つけるなんてもっての外です。

僕は反省が必要です。

 

まとまりませんが、こんなことを最近は考えています。

今年も頑張りましょう。

 

Too proud

ブログを書くとき、タイトルはいつも本文を書いた後に考えます。

何かテーマみたいなものを決めちゃうと、どうしてもそれに引っ張られてしまうから。

 

だから今もタイトルは空白です。

状況は昔から変わったけど、人の本質みたいなものは大きく変わっていない。

 

 

 

僕の好きだった人が死んで、昨日で3年が経ちました。

 

僕がHIVになる前後に好きだった人です。

病気になったきっかけの人ではありません。たぶん。

 

病気になる前は、セフレみたいな関係。

正直、お世辞でなく、めちゃくちゃかっこいい人でした。

さぞかしモテていたことだろう。

単純に、セックスの相手として僕は彼のことをとても好きでした。

 

僕がHIVになったことを知ったのは、彼と出会ってから4か月後のこと。

他にもセックスをする場はちらほらあって、無知な自分はただ遊んでるつもりだった。

 

病気のことを知った彼は、まず先に「俺大丈夫かな?」って言ってたな。

でもそこからは、セフレとしてではなく、僕と向き合ってくれました。

病気になって不安定だった時期を支えてくれた人は他にもいます。

でも、彼がそのうちの一人として大きな存在であったことは確かなことでした。

 

 

彼が死んだのは、僕がHIVになってから4か月後。

 

改めて考えてみると、僕が彼本人と一緒にいた時間よりも

彼の残した人たち(家族や彼の恋人)と触れ合った時間のほうが長くなっていた。

とっくに。

 

 

僕は彼の三回忌には行きませんでした。

 

彼の家族や親しかった人たちと、温度差を感じてしまうことが申し訳なかった。

たったの8か月しか一緒にいなかった僕と、もっと長く深い時間を過ごした人たち。

僕が彼の家族の前で泣かないのも、当然だと思う。

 

 

もちろん彼が死んだと知ったときの僕は今でもやばかったと思う。

知った日の記憶はあまりない。たぶん何も考えられないほど泣いた。

その後2週間ぐらいも、電車に乗ってるときやバイトの休憩中に急に涙が出てきて焦った覚えがある。

 

 

今も、悲しくないなんてことはない。

彼がもし今生きていたら、僕の環境は今とは全然違うものだったに違いない。

(僕の彼氏も今の人ではなかっただろうし、仕事も違ったかも。結局何もわかるはずもない。)

 

でも、彼に対する気持ちがとても深い場所に行くのが、少し怖くなっている。

 

 

悪いことじゃないと、個人的には思っている。

中途半端な気持ちで、人の死と向き合うのは失礼だ。

 

 

時間が解決する問題があれば、時間により触れられなくなることもある。

 

 

でも、彼の死んだことを、僕は一生忘れない。

これは嘘偽りのないことだと胸を張って言える。

だから、僕は一人で祈る。

 

 

彼が安らかに眠れていますように。

 

 

 

 

タイトルは、今から考えます。

優しい人

また月日が経った。

 

この病気を患ってこのようなブログを始め

気持ちの整理をしたり、その気持ちを伝えたり

薬の情報を発信したり、病気の防止を啓発したり

そんな人はたくさんいて、たくさんいた

 

自分もそうである。

 

でも、その多くがある日を境に更新がぱたりと止まる。

 

病気が悪化したのか

命に関わる状況に陥ってしまったのか

 

僕の場合は全くそうではなかった。

 

僕の場合は、日常になった。

 

僕の場合は、3ヶ月に一度の通院の際に1万円を支払うだけで

その先3ヶ月分の薬が貰え、

それを毎日欠かさず服用することで、いたって平凡な日常を送ることができている。

 

HIVに感染しても、薬を正しく服用することで以前と変わらない生活が送れます。」

 

全く、そのとおりなのだ。

だから僕は、

きっと他の多くの人も、

HIVに感染している、と知ったときの動揺を今はすっかり忘れ

この状況が「日常」になってしまう。

 

この病気に関して、日々の気持ちや生活を綴っていても

あまりの「平凡な日常さ」に、あえてブログに残しておくまでもなくなってしまう。

 

そういうことなのかと、思って、なんとなく今文章を書いている。

 

 

ある友人から、友人の知り合いがSNS自死を思わす投稿をしていると聞いた。

そのSNSを見せてもらった。

人が死ぬ、特に自死の道を選ぶ、と聞くのはやはり悲しい。

僕の友人も数年前に自殺をした。当時好きな人であった。

 

今日聞いた友人の知り合いも、僕の過去の友人も、

自死の及ぼす周りへの影響は、きっと、誰よりも考えたのだと思う。

それでも、生きることができないってどうしようもなく感じていたのかもしれない。

生きていれば楽しいこともある。だから死なないでって皆は言う。

じゃあ私が生きることであなたは責任を取ってくれますか?

人の人生を背負うことはとても重いことだ。

責任について尋ねられたときに、すぐさまイエスと言える人は多くないんじゃないかなあ。

 

実は僕も、というか、たぶん僕だけじゃないと思うんだけど(きっと結構たくさんの人が)

生きることがつらいと思っている。

 

それが限界に達したとき、やっぱりきっと自分も、

どうしようもなく「生きれない」って声を漏らしちゃうんだろう。

 

 

自分は昔から人の集まりに馴染むことが苦手で

いつもおどおどしていた少年だった。

いまも人の目を気にして、思うように言葉を発せなかったり、行動を起こせなかったりする。

もはやHIVなんて関係ない。

僕はもともと生きにくい素質を持っていたのである。

 

生きれないと思ったとき、逃げることができる人とできない人がいる。

 

逃げることを選べる人は、強い人だ。

自分をいい意味で大事に思っていて、自分を守れる人だ。

逃げることができない人は、優しい人なんじゃないかな。

というか、そうだといいな。自分も逃げられないと思う。

周りのことが気になってしまうからなんだよね。

 

ここで、「じゃあ周りの人は僕の人生に責任を持ってくれるのか」って

きちんと疑問を投げかけられるようになりたい。

この世の中にはいろいろなこと(助言だったり文句だったり)を言ってくる人がいる。

 

その人たちに声を大にして言いたい。

 

お前は人の人生の責任を取れるのか!と。